【地震全史V6】福井地震の教訓|震度7誕生と建築基準法の原点を探る$$$$$$

 

 

 
 
 

「復興の希望が、一瞬で紙屑のように崩れ去った」。1945年の福井空襲から不死鳥のように立ち上がろうとした福井を、1948年6月28日、マグニチュード7.1の直下型地震が襲いました。死者3,769人。震源近傍の集落では家屋倒壊率が100%に達した地域もあり、その被害は日本の近代史上でも類を見ないものでした。

本記事では、地震発生の19日前に出されていた「幻の予報」の真相から、現代の安全の礎となった「建築基準法」誕生の裏側まで、最新の公的資料と独自の技術解析を基に徹底解説します。あなたの家を「防波堤」に変えるための知識を、ここで手に入れてください。

 

福井地震は、軟弱地盤で揺れが増幅され、震源近くで全壊率がほぼ100%に達する極限の被害を記録した地震です。この未曾有の惨状を受け、従来の定義を超える「震度7(激震)」が後に新設され、1950年には現代の耐震基準の原点となる「建築基準法」が制定されました。私たちの住まいの安全性は、福井の教訓という尊い土台の上に築かれています。

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Vol.4 東南海・三河地震Vol.5 昭和南海地震Vol.6 福井地震(この記事)

【地震全史S2】戦中戦後の巨大地震まとめ|東南海・南海・福井地震

 

  • 2. 科学が恐怖に追いつけず誕生した「震度7(激震)」
  • 3. 建築基準法のルーツ:多数の松杭が守った命
  • まとめ:不死鳥のまち、福井が遺した「生存の契約」
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    福井平野の全壊率は平均60%を超え、春江・森田・丸岡など震源に近い地域では全壊率がほぼ100%に達した集落も多かったんだにゃ。軟弱な地盤と脆弱な建物が重なった、文字通りの絶望だったんだにゃ。

    福井平野を襲った「揺れの増幅」と地盤リスク

    福井地震の破壊力が極めて大きかった理由は、福井平野の「軟弱な沖積層(地盤)」にあります。地盤が柔らかいほど地震の揺れは地表付近で増幅され、建物に致命的なダメージを与える周期の揺れが発生しやすくなります。

    内閣府の報告書によれば、丸岡町付近の震源近傍では全壊率100%の地点が続出しました。これは現代の土地選びにおいても「地盤調査」と、その地盤に適した「基礎工事」がいかに重要かを物語る強烈な証拠です。

     
     

     
     

    「国際劇場の悲劇」と同時多発火災

    地震発生は午後4時13分。福井市では24件の火災が同時発生しました。中でも片町の「国際劇場」では、建物が倒壊した直後に出火。マッチの摩擦が原因とも伝えられており、逃げ場を失った多数の観客が犠牲になったとされています。この悲劇は、耐震化だけでなく「感震ブレーカー」等の電気火災対策の必要性を強く示唆しています。

     

    当時の最大震度は「6」だったにゃ。でも、福井の被害は震度6の定義を遥かに超えてしまったんだ。科学者が絶望的な現場を見て、後に「家屋倒壊率30%以上」を目安とする震度7が導入されることになったんだにゃ。